問いなおし。
支援、サポートって文字を見かけるたびに
『そうだそうだ!』とは思うんだけど
『そうだそうだ!』って野次ってる時間を、個人的に日常範囲で動くことに充てて
"こうなった"って事例を積むことが
一番のサポートになると、自分でわかってるはずだ。
【その"サポートしたい"は、本当か?】
----------
人でも動物でも、あまりにも酷い事例を目にすると
『救いたい!なんとかしたい!』って、切なく歯がゆく感じるけど
『救いたい!なんとかしたい!』って感傷に浸ってる時間なんてないままに
"体が勝手に動いてる"ときは、自分にあったろうか?
【その"救いたい"は、本当か?】
----------
サポートする側のイシューって、どれも似通ってるのに解決してる感じ薄いなぁ、とか
貧困や卑怯な手口で、性の搾取が起きててひでぇなぁとか
"たまたま目に入ってきた"そんな記事をみてたら、自省の気持ちが湧いてきた。
自分ができることなんて、ほとんどないのに
『なんとかならないかな』と沸き上がっている、無責任な"なんちゃって同調意識"。
我ながら、バカなんじゃないかと。
と同時に
自分にできることなんて、たいしてないからこそ
そのできることを、"貴重な資源"として扱わなきゃいけないなと思い直した今日この頃。
"本当に、本当"なのか?
それとも
"同情パフォーマンス"なのか?
有限で貴重な資源である
【 主体性】を、問う。
276/365
去年は、とにかく外に出ていた。
9:30~20:00まで(たまに18:00)のシゴトが終わってから
まっすぐ帰った記憶が、あまりない。
色々手をつけすぎて、何やってたか記憶も曖昧なくらい
文字通り、流れるように1年が過ぎていった。
『はて、いったいどのくらい外にいたのだろう?』
と疑問が沸き、一年分の過去予定を数字で振り返ってみた。
ーーーーー
外出する多くは、お誘いがあり、『人と話す』目的でいっていた。
飲みとか相談とか情報交換とか。
他には主催イベントも多かった分、MTGで話す&動くことがあり
あとは少しだけ、学ぶために外に出ていた。
家にいたとしても、登壇するイベント用のプレゼン資料作りで
『時間がねぇぇ~!仕上げなきゃー!』と四苦八苦していたり
”積ん読”してある本を消化することに充ててたので
ひとりで"ゆっくりしてる"と感じられる時間は、極端に少なかったかもしれないw
そんな【365日】の
集計結果…
【予定を入れていた日数】 276/364日
【予定を入れていない日数】 89/365日
!?
3/4は外出てましたwww
(逆に『1/4も、まっすぐ家に帰ってたんだ』と言う感じすらするw)
ワタクシ事ながら
『事務員のスケジュールじゃねぇww』と感じるw
10年前は、家でゲームやってる方が良かったから
こんな未来になってるとは思いもしなかった。
いやー。なかなか感慨深い。
ーーーーーーーーーー
”なんとなく”って感覚を数値化すると、振り返りやすい。
事実を数字に置き換えて客観視することで
気付けたり、改めて感じることがある。
✔ 去年の動いてきた"結果"が、今わかったわけで
去年想定していたような”望ましい状態”に近づいてるのだろうか?
✔ そうじゃなかったなら、今年はどう動けばいいのだろうか?
といったことを判断し、次の目的に対して動く参考にするための
『数値化』と『効果測定』は大事だなぁ、しっかりやらんとなぁ
と感じたのでした。
今年は、拠点を手に入れることを第一義に動きます。まる。
ーーーーーーーーー
そして
こんな割合で"やっていられている"のは
現状、実家暮らしであることが大きい。
本来の独り暮らしにおける、買い出しと料理、洗濯、掃除をカンペキにこなすとなると
一日に+2時間は欲しい。カネもかかる。エネルギーも消耗する。
現状、家事は多少やるだけなので
金銭的・肉体的・精神的な負担も少ない恩恵を受けてる分は
彼女らの"欠け"を補うことで、少しだけ貢献できているかなぁと思う。
(*車の免許がなくてできない『遠出』や
自転車ではちと遠い店への『買い出し』に時間を予めつくって、要望を聞いて応じるようにしている。)
もうイイ大人だし、なるべくなら”持ちつ持たれつ”状態にしたいけど
そもそもそれ以前に、成人するまでの18年は
あらゆるコストを払って育てられているので
労力としては、実家側は目に見えない重いものを背負ってきているんだよなぁ。
それを『返せた』と感じるには、あと20年は必要だろうなぁ
なんてことも同時に感じたのでした。
【読書メモ】良い質問とは。
良い質問とは、正しい答えを求めるものではない。
良い質問とは、すぐには答えが見つからない。
良い質問とは、現在の答えに挑むものだ。
良い質問とは、ひとたび聞くとすぐに答えが知りたくなるが、その質問を聞くまではそれについて考えてもみなかったようなものだ。
良い質問とは、思考の正しい領域を創り出すものだ。
良い質問とは、その答えの枠組み自体を変えてしまうものだ。
良い質問とは、科学やテクノロジーやアートや政治やビジネスにおけるイノベーションの種になるものだ。
良い質問とは、深針であり、「もし~だったら」というシナリオを調べるものだ。
良い質問とは、ばかげたものでも答えが明白なものでもなく、知られていることと知られていないことの狭間にあるものだ。
良い質問とは、予想もしない質問だ。
良い質問とは、教養のある人の証だ。
良い質問とは、さらに他の良い質問をたくさん生み出すものだ。
良い質問とは、マシンが最後までできないかもしれないものだ。
良い質問とは、人間だからこそできるものだ。
【<インターネット>の次に来るもの 未来を決める12の法則】NHK出版
ケヴィン・ケリー 著 服部桂 訳
(P380~381より引用)
質問は、思考領域においての
”水”のようなものだなぁ、と思った。
自己全体だけでなく、環境全体を”循環”するもの。
その質が悪ければすべてが悪くなり、良ければすべてが良くなるサイクルを生み出す。
あるのが当たり前すぎて、あまりありがたみを感じられてないけれど
なければ何もできなくなることや、汚れすぎて使えず必要にかられてから
はじめて『思考の根幹を成すものだったんだ』だと気づく。
悪い質問のサイクルは、早めに断ち切り
良い質問のサイクルを、絶えず自己へも他者へも向けてゆく。
たった10数年後の、信じられない未来
マクロに拡大してゆけば、SFの世界になる。
労働から解放される。
食料がフリーになる。
世界平和が実現される。
貨幣による経済が終わる。
宇宙への移住が実現する。
病気がなくなり、寿命がなくなる。
人間としての各々の役割も、いまのようなカタチではなくなり
それが何かは、さすがにその時にならないとわからないが