社会システムとバランス
たくさんの『把握しきれない大きすぎること、だけどジブンに必ず関わってくること』
=【社会システム】に囲まれて過ごしているわたしたち。
この社会をつくりあげているルール、システムについて、どれくらい知れているだろうか。
決まったことに依存するわたし(たち)
大きく"事の流れ"と"その前提"を、じっくり眺めてみるとよく感じることなのだけど
今は、ジブンと、ジブンを取り囲む環境を批判的に見なければ
『 バランスが取れないシステムの中にいる』のではないか、と強く感じる。
それほどまでに、ジブンも周囲もシステムそのものも
劣化してしまっている
と感じているからだ。
現状
ジブンと、ジブンと周囲だけでなく
日本の"ニンゲン活動"に関すること、それを整えているであろうシステムについて
本来的な意味合いや理由、過去に学んだことを生かす教訓を
ほぼ把握しきれてない=活かしきれていないままに時間が流れている。
政策(方向性)、法案(ルール)という国内外の決めごとを
みんな、時間的・認知的に
『知るゆとり』がないままに日常生活を送っている中で
『じゃあ、○日からコレやるって決まったから。』
って決められたことを、テレビやネットで知ることになる。
その影響をどんどん日常生活のベースに追加されているのが、事実。
決めたことでイチバン潤うのは、誰?
理想的には、より多くの情報や解釈を集積した上での
【最高の妥協点】が必須になってくる部分なのに
そこんとこは知らないし、知らされてないのも事実。
(*厳密に言うと、知る労力をかけた上で、与えられた情報や解釈への洞察力を養わないと
本当の意味で知ることができない、という事実が目の前に横たわっている。)
イメージ例として、このアベノミクスの写真。
https://www.google.co.jp/search?q=トリクルダウン+アベノミクス&client=ms-android-huawei&biw=360&bih=524&prmd=nisv&source=lnms&tbm=isch&sa=X&ved=0ahUKEwidoqadxMDQAhUCfrwKHXGJBYEQ_AUICCgC
理想の影響は、上のイメージ
現実の影響は、下のイメージ
となっているのだけど
『給与上昇、雇用改善、株価上昇で景気は良くなってるデータが出てるよー!』
と、しきりに連呼する言葉が、なぜか多く耳に入ってくる。
けど、ほんとにそうだろうか?
増税も伴って、全く現実味がないw
この時点で『実感ある』と言えてる人は
間違いなく上のワイングラスの中に入っている人たちで
『実感ない』と言える人は、まだ足りねぇ!と思っているか、ほんとに行き渡ってないかのどちらか、というのは
感覚的に事実だろう。
【最高の妥協点】をつくるにあたり
この図で言うとこの、下のワイングラスにあたる部分の居場所を作り、守るために整備するという思想が基盤にある、と俺は考えていたのだけれど
流れを見ている限り、整備する決裁権を持つ側は
どうやら、そうではないようだ。
システムに必要なのは【バランス】
この時点で
『 政策、法整備といった大きな社会システムは、誰のために整備、施行するもんなんだろうか?』と疑問が沸く。
これは、社会システム的に欠陥している。
明確に、欠陥していると断言していい。
だから、そもそものシステムの在り方を問い直す=批判しなけりゃ、バランスがとれない。
ジブンと、ジブンのまわりばかりではなく
日本に住む圧倒的大多数たちをトコトン窮屈にする政策も法案は、もういらないのですよ。
(逆に、自由にさせすぎる政策も法案もいらないけどね。)
システムに必要なのは
偏りではなく、バランス感覚を保つことなんですよ。
【いま、ここ】の
【最高の妥協点】。
その妥協点を見つけるためは、何もかもを、誰も彼もが問い直す必要がある。
本質、根源が歪んでいると…
✔ 歪んでいることに気づかない。
✔ 歪んだ基盤で理想を語って出来ていく何もかもは、さらなる歪みを生むだけ
✔ 歪みを正す、自浄作用も働かなくなる
逆に、 本質、根源さえしっかり定義しておけば、立ち返ることができる。
つまり、歪んでも『セーブポイント』が設置できている分
まだマシな運用をしてゆけるだろう。
ドラマチックでもない、地味な変化の地味な潤いだとしても
それを受け取り続け、与え続けられる"機能"を保ち続けることこそ
【社会システム】と呼ぶに相応しいものだと、ジブンは思う。
多くの人がシステムの一翼という自覚を持って
『把握しきれない大きすぎること、だけどジブンに必ず関わってくること』について
歪みに気づき、自浄し
健全なセーブポイントを作れることを願うと同時に
ジブンも、歪まないようなバランスを保つ習慣を心掛けていたい。