母親が大病を患いまして。
2017年末。
母親が、大腿骨を複雑骨折して入院した。
入院中、あまりにも腹痛がひどくて食事ができない事を変に思い、ついでに検査したところ
十二指腸潰瘍からの【悪性リンパ腫】の疑い有、と診断された。
しかも、症例が蓄積されていない【末梢Tリンパ腫】の中でも
かなり奇妙なパターンで、学会発表レベルのレア症例な模様。
英語の論文の説明を受けた感じだと、所謂白血病用の抗癌剤治療を施すと
ざっくりした余命は「半年から2年」のようだ。(※個人的には大反対してモメている)
今現在は、「検査」で入院しているものの
その「検査」を受ける度に、日に日に状態が悪くなっている様子が伺える。
骨折から現在まで、たった3か月の出来事。
我が家の「日常環境」が、急速に変化してゆく。
<母。>
自分が母親をひとことで表すならば
「究極のお人よし」である。
表面的には朗らかで人柄は良く、社交的に見えるけれど
友達と出掛けることはまずない性格。
「気を遣って疲れてしまう」からだそう。
結果的に、行動は家と職場の往復のみの狭い範囲になる。
あまりに狭い世界で完結してることを見かねて、少しずつ「家族サービス」と称して外に連れ出すようになり
ようやく「あの滝に行きたい」「あのイルミネーションが見たい」「あの温泉に泊まりたい」と意思表示してくるようになった。
それだけ狭い人間関係の中で生きてきたからか
親族であれば、わざわざ自分を害するような金の無心の頼みも聞き入れて
なんとかしてあげてしまう。
自分は「よくそこまでやるな」とすごさを感じると同時に
自分の体たらくを差し置いて、金の無心に言い寄ってくる"輩たち"(※4.5人)に手を差し伸べ続けるなんて、なんて学習能力がないのだろうと呆れてもいる。
現実の生活では、ささやかなスイーツ以外は一切の贅沢をせずに過ごしていた。
節約もして、質素倹約に励みながら、毎日9時間近くしこたま働いた額の
およそ8割は、そういった厄介事に消えてるのではないかと思うほど
自分の楽しみには使っていない上に、蓄えもない。
自分から見たら、その様子は人助けではなく
「寄生されて吸い尽くされた」と表現したくなるほど、一切の見返りがないひどい有様…
そう思ったときに、そのまんま伝えたら
「だって、ほっとけないから仕方ないじゃない。そういう性格なんだから。」という人物だ。
そういう母親が今、難病になり日に日に弱っていっている。
ちなみに、金の無心に言い寄ってきた”輩”達からは
余命宣告をされたところで、相変わらず、特に何もない。
期待しちゃいないが、傍から見てるとやるせなさだけが募る。
<落ち着いて解釈を進めてみる>
色んな感情が渦巻くものの
これからどうするか、は現実的に対応していくしかないので
もう日々淡々とやれることをやるしかない、と落ち着いている。
検査の結果を踏まえた上で
なるべく負担のない方法を探し、試しにやりつつ、本人の選択=ただの医者任せにしない為に学ぶ材料を整えて渡し
後から後悔のない意思決定をしてもらうよう促している。
やれるだけやった上での結果は、甘んじて受け入れるしかない。
それと同時並行で進めておく大事なことは、未来のこと。
このまま元気になったところで
同じことを繰り返す可能性があることだ。
色々と解釈をこねくり回しているけれど
ひとことで言えば
- 母親が、母親自身に興味を持たない(愛されていない)こと
- 興味(愛されること)を外部依存していること
精神的なこれらが、現実に反映された結果
- 大病を患うことで、周りを巻き込んで興味を持ってもらう現実を創り上げた
のではないか、と考えている。
根本的に、ココにテコ入れをしない限りは
形を変えた同じことがまたやってくるだろう、と。
なぜなら、母親は
典型的な「ゆうこりんタイプ」だからだ。
趣味で、人間の精神や行動の分析を進めてきたことが
こういうときに、役に立つ。
長くなったので、続きはまた今度に。