喪主から100日経過した、”疑問疑答”の答え。
母が亡くなり、喪主を務めてから100日経過。
7月の初盆も終わった。
日に日に、”居なくなった日常”があたりまえになっていく。
しかし、いつも仏前で手を合わせながら
「母親とは、自分にとってなんだったのだろう」と考えてしまう。
いまのところ腑に落ちているのは
【子の時間を創る存在だった】のではないかなと感じる。
実家にいるときには
未成年から育ててもらうこと
家事をすること
家の環境を心地よく整えること
非常時に備えること
地域の連携をとること
働いて生活を成り立たせてくれること
これらすべてについて、自分が余分なエネルギーを使わないで済むように立ち回ってくれたことで
エネルギーのすべてを、勉学や趣味や友達付き合いに注げていた。
本当に”多くの時間を創ってくれていた”のだな、と
働きながら、家事や家の環境作りや非常時の備えや地域の付き合いをしていて
いまさらながら、認識する。
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母親は、本当に文字通り
自分の身を滅ぼしてまで、人に尽くし抜いた存在だった。
実の子供だけでなく、周囲にも尽くし抜いていたのに
母親自身が自分のために使う時間もお金も(傍から見れば)充分に得ることなく、早くに逝ってしまった。
そのことについて、どう感じていたのだろう。
本当はもっと遊びたかったのではないか。
本当は我慢していたのではないか。
ぜんぜん人生物足りなかったのではないか。
人生こんなところで終わるなんて
ふざけるなと思っていたのではないか…
答えの出ない遣る瀬無い問いかけが、堂々巡りでまわっている。
長野で危篤の連絡を医師から受けたとき
「お母さんが話したいことがあると言っている」と聞いて戻ったものの
既に睡眠導入剤が混入された点滴を打っていて、意識が朦朧としていたからか
結局、意思疎通ができる内に真意は聞けなかった。
母親が本当はどう思っていたのか。何を言いたかったのか。
永遠に解けない疑問と、その仮説の生成が、無限にくりかえされている。
”疑問疑答”を繰り返すことで
「心残りとは、こういうものなのだな」という
リアルな感覚を噛みしめる。
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自分の身が滅ぶまで尽くし抜いた母親は
最悪な半面教師であると同時に
最高な人格のお手本でもあった。
極端な二面性を、人生を賭してみせてくれた。
そして、時間を創って、遺してくれた。
今後俺は、これらを踏まえた上で
自分に正直に、自分の人生と向き合うことになる。
正直、衣食住が満たされていると
人間でいることに飽きてしまっていて
「別に、いつ死んでもいいや」と投げやりに思っていた時期もあったけど
もう、それはやめだ。
人生は、本質的にはひまつぶしの旅なのだろうけど
受け継ぐものがあるのならば、そんな独りよがりではダメだ。
母親の人生の、ひとつの”結果”として存在している自分には
幸せになる義務が課せられたように感じていて
できる限りで、周囲の方へ得た幸せをおすそわけしていくように
社会的な義務も課せられているように感じる。
今後、もし自分をぞんざいに扱うことがあれば
それは義務の放棄であり、母親の人生を冒涜する背徳行為でしかない。
だから、自分に残された時間は、一切ムダなことには使わない。
ムダなことには使いたくない。絶対に使えない。
自分という存在そのものの価値を観測し続けながら
生活の場へ、社会へ活かす形で還元していく。
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自分なりの、疑問疑答への筋の通し方は
これしか思い浮かばないからこそ
まずは全力で”幸せになるリスクを負う”と決め、過ごしてみようと思う。