Inspire note

じぶん創りの備忘録。

母親が大病を患いまして。 その②


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去年末からは、ずっと

「家ー職場ー病院ー家ー職場ー病院…」のエンドレスループ

あっという間に毎日が過ぎてしまうけど

起きたことが多すぎるw

記録として残しておきたい。

 

【時系列 まとめ】

<2017年 春先~ 予兆>
・腹が痛くてメシが食べられない、と時々言うようになる
・家族サービスで遠出の時も、まともに食べないとき多々
・たまに帰宅時、腹痛で寝込んでいた
・しかし甘いものはやたら食べたがる…(が、結局食べると痛くなり後悔する、を繰り返す)

 

<2017年 10月 初旬>
・階段から落ちて、左足の付け根(大腿骨)を複雑骨折
・1か月半の入院。ボルトで留める大手術
・入院中、腹痛で病院食が食べられなくて内科も受診

・腹痛用薬の副作用でむくみが出る。ゾウのような足に…
・原因不明のまま退院

 

<2017年 11月中旬>
・退院~リハビリへ。近所でリハビリ開始
・薬の副作用で、下半身のむくみがひどくなる
・足を上げてむくみを抑えないと、痛くて活動もできない程に
・薬をもらうも、腹痛は治らず悪化の一途。ほとんど食べない日が続く
・比例するようにむくみも悪化

 

<2017年 12月 大晦日イブ>
悪性リンパ腫と診断、さらなる検査と他病院を紹介される

 

<2018年 1月初旬>
・PET等、さらなる検査をすすめて結果待ち
・下半身のむくみ、痛みは悪化を続ける

 

<2018年 1月下旬>


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・↑「T細胞リンパ腫」と確定、抗がん剤治療の可能性
悪性リンパ腫の中でも、かなり珍しい症例で確たる治療法がない
・少ない中での生存率は、半年~2年の幅
・検査入院~治療法を模索することに
・下半身のむくみ~左手、お腹にも出るようになる
・だんだんと歩き回ること自体ができなくなる

▼期間中、症例や薬や抗がん剤についての情報・書籍をとにかく集めて提示する
※自分は抗がん剤治療について賛成も同意もしない(こうなったのは自業自得、生活態度と考え方を根本から改めなければ再発する為)が
  本人の意思決定には介入しないことを伝える。

 

<2018年 2月6日 検査入院~治療へ>


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・病名は↑「腸管症関連 T細胞リンパ腫」

・病巣が十二指腸と下行結腸にあると判明、担当医に緊急性を訴えられる
・日本で参考になりそうな論文は3例のみ、という珍しい症例
・余命は7.5か月と告げられる
・↓「ESHAP」という、大量化学療法~造血幹細胞移植を提案される


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・4時間話した末、腹痛に耐えかねた母親の自己判断でESHAP療法をやることに決定

※ESHAP…4日間、細胞分裂を止める抗がん剤・DNAの合成を阻害する抗がん剤・多量ステロイドを静脈注射
 ➡5日目に、細胞毒性のある抗がん剤ステロイドを多量に静脈注射

 

<2/7 ESHAP 1日目>
・朝、トイレで呼吸困難になり死にかけていた
・ケータイのメールも打てないほど意識朦朧、急激に劣化
・まとまりのある話は可能
・ベッド横にトイレが設置される

 

<2/8 ESHAP 2日目>
「何を考えてるかわからなくなる」と言い始める
意識障害が出てきている。斜視気味になる
・時々話がおかしくなるが、まだ通じる範囲
・メモをとっているが、字が思い出し辛そう
▼祖父祖母、親類、仕事場を巡りに入院詳細を渡す

 

<2/9 ESHAP 3日目>
・さらに会話が成り立たなくなる。矛盾したことを言い始める
・知能が落ちている。幼児返りのような感じ
・メモをとっているが、昨日よりまとまりがない
「なにをしてればいい?」と聞いてくるようになる
★15年前失踪した父親らしき名前を発見、職場に特攻→特定。入院詳細を渡す。

 

<2/10 ESHAP 4日目>
・3日目より意識ははっきりしていて少し安心する
・親類、父親、お世話になっている方々が見舞いに来たことを聞く
・担当医の方に、去年発表されたばかりの副作用の軽い新薬や方法が記載された論文がある事を伝える。コレは果たして検討されていたのか?

 

<2/11 ESHAP 5日目>
抗がん剤(キロサイド)大量投入日。投入前まではぼちぼち意識健全
・担当医から新薬と論文の返事。検討材料には入っていた末のESHAPだったとのことで納得
・大量投入完了した、と本人から16:00メッセあり
・夜間はメッセ無し

 

<2/12 ESHAP 6日目>
・メッセまったく無し、昼様子を見に行くと衰弱しきっている
・会話と動作、ひとつのことしかできない(足、腕、ひとつずつしか動かすことができない)
・テレビを「ただただ、やかましい」と言う(何が写ってて何を喋ってるのかわかってない)
・トイレに行きたくても、体の起こし方がわからない様子。ほぼ介護状態。
・「なにをしてればいい?」から「なにを考えてればいい?」と訴えてくるようになる
・親類、職場の方が見舞いに来て下さった

 

<2/13 緊急手術 7日目>
・朝は音沙汰なし、13:30に病院からtel入る
・緊急手術との事で呼ばれ、代理サイン。腹水+ガスがたまり、開腹手術。
4時間の手術の末、小腸を20cm摘出。5cmほどぱっくり破け、そこから消化物とガスが漏れていた。(回腸穿孔性腹膜炎)
・今回のT細胞リンパ腫とは関係のない部位で破けていた
・救命救急病棟への移動に伴い、旧病室から色々と引き上げる。荷物多い…
・20時過ぎに面会可能に。意識はあり、うなずく程度なら可能。少し会話し撤収。
▼親類、関係各所に手術の旨連絡

 

<2/14 手術後 治療入院8日目>
★実父と会い、2時間ほど話す。高校のときに失踪した理由、その間連絡ゼロだった理由、未精算のことなど
・母親のもとに実父を連れていき、2時間ほど滞在



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↑ 母親「テメェどのツラ下げて来やがった!」説教からスタートw


・酸素マスクも取れて、意識もESHAP時よりしっかりしている。まともに会話が成り立つ。
・割と和解ムードで解散。あとの二人の関係性は、自然の成り行きに任せる
・必要なものを届けに、再度病院へ。母、救命病棟の厚待遇に感動の様子

 

<2/15 手術後 治療入院9日目>
・見舞い一日休憩、他イベントに出席

 

<2/16 手術後 治療入院9日目>
・意識明瞭、会話のまとまりも回復
輸血は継続されており、通常呼吸での酸素濃度が少ない模様
・親類が見舞いに来ていた。実父は3日連続で来ている模様

 

 

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母親が悪性リンパ腫と診断されて、抗がん剤治療をやるかもしれない、と判明した昨年末から

"今できること、今やるべきことを、ただ淡々とやるのみ"

"より善い状態を模索し続ける"

”肚の底から湧くものに従う”

ただそれだけに集中してきた、目まぐるしい1か月。

振り返ってみると、これは濃いわ濃いわ。

平常心を保ちつつ動き続けられたのは、上の3つを軸に据えていたからだなと改めて思う。

 

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緊急手術が終わり、実父が見つかって毎日見舞いに来てることに
少し気が抜けて、こうやって書き綴る気が起きるようになったものの

 

状況は、まるで"安定"ではない。

 

母親の複雑骨折が完全回復してるわけではなくて
十二指腸と下行結腸の病巣が良い方向に行ってるかわからないままで
抗がん剤によるさらなる二次災害…増ガンや多臓器不全が危惧される中で
緊急手術が悪性リンパ腫と関係ない部位で起こったことで

回復への負担はさらに増したわけで

余命7.5か月と告げられたとこから、さらに状況は厳しくなっている。

 

さらに、家計がヤバイ。
治療と入院で、月10万強が毎月の出費として重なり
たいして稼ぎも蓄えもなく、頼れるところもない以上
こちらもなんとかしなければ、1年ちょいで恒常的なマイナスに陥ってしまう。

 

かれこれ半年ほど、病院関連で時間的にも精神的にも拘束・圧迫され
自身の未来に向けて使える心身のリソースに著しく制限がかかっているストレスもある。

 

母親の体調、我が家の家計の1年後に危機感を感じてるが故
いまここの段階で、シビアで適切なマネジメントが求められてるのは言うまでもない。

 

しかし、結局、自分の人生の責任は、他人がとることはできないのだから
他人の意見や外的環境に支配されることにも飲まれてはならない。

 

なんとかしたいのなら、なんとかする。
なんとかしたくもないのなら、なんもしない。

なんとかすれば、なんとかなる。
なんとかしなければ、なんともならない。

シンプルに、シンプルに。

"今できること、今やるべきことを、ただ淡々とやるのみ"

"より善い状態を模索し続ける"

”肚の底から湧くものに従う”

f:id:reo-lab:20180217062045j:plainそれだけだ。