Inspire note

じぶん創りの備忘録。

欲望∞諦観

欲が肥大化しすぎると、生き様は歪む。
諦める範囲が多すぎても、生き様は萎む。

 

欲と諦めは、反復運動をすることでバランスが取れる。

 


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欲を欲のまま即座に貪らずに

より大なるものに、より善くしてゆく"望み"とすれば
時間軸が生まれる。

 

時間を取り込むことで、よく"観る"ことが求められ

地に足をつけた『日々の計画ー行動ー振り返り』が必要となり、欲の結晶化へと動きが生まれる。

やがて、"望む為の諦め"を選択しながら生きる流れが出来上がる。

 

欲と諦め、何れか片方に留まることなく

欲望と諦観をswing=循環を生み出し

自身の人生観を、アウフヘーベンさせてゆく。

喪主から100日経過した、”疑問疑答”の答え。

母が亡くなり、喪主を務めてから100日経過。


7月の初盆も終わった。

 

 

日に日に、”居なくなった日常”があたりまえになっていく。

 

しかし、いつも仏前で手を合わせながら
「母親とは、自分にとってなんだったのだろう」と考えてしまう。

 

いまのところ腑に落ちているのは
【子の時間を創る存在だった】のではないかなと感じる。

 

実家にいるときには
未成年から育ててもらうこと
家事をすること
家の環境を心地よく整えること
非常時に備えること
地域の連携をとること
働いて生活を成り立たせてくれること

 

これらすべてについて、自分が余分なエネルギーを使わないで済むように立ち回ってくれたことで
エネルギーのすべてを、勉学や趣味や友達付き合いに注げていた。

 

本当に”多くの時間を創ってくれていた”のだな、と
働きながら、家事や家の環境作りや非常時の備えや地域の付き合いをしていて
いまさらながら、認識する。

 

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母親は、本当に文字通り
自分の身を滅ぼしてまで、人に尽くし抜いた存在だった。
実の子供だけでなく、周囲にも尽くし抜いていたのに
母親自身が自分のために使う時間もお金も(傍から見れば)充分に得ることなく、早くに逝ってしまった。

 

そのことについて、どう感じていたのだろう。

 

本当はもっと遊びたかったのではないか。

本当は我慢していたのではないか。

ぜんぜん人生物足りなかったのではないか。
人生こんなところで終わるなんて

ふざけるなと思っていたのではないか…

 

答えの出ない遣る瀬無い問いかけが、堂々巡りでまわっている。

 

長野で危篤の連絡を医師から受けたとき
「お母さんが話したいことがあると言っている」と聞いて戻ったものの
既に睡眠導入剤が混入された点滴を打っていて、意識が朦朧としていたからか
結局、意思疎通ができる内に真意は聞けなかった。

 

母親が本当はどう思っていたのか。何を言いたかったのか。
永遠に解けない疑問と、その仮説の生成が、無限にくりかえされている。

 

”疑問疑答”を繰り返すことで
「心残りとは、こういうものなのだな」という

リアルな感覚を噛みしめる。

 

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自分の身が滅ぶまで尽くし抜いた母親は

最悪な半面教師であると同時に
最高な人格のお手本でもあった。

 

極端な二面性を、人生を賭してみせてくれた。
そして、時間を創って、遺してくれた。

 

今後俺は、これらを踏まえた上で
自分に正直に、自分の人生と向き合うことになる。

 

正直、衣食住が満たされていると
人間でいることに飽きてしまっていて
「別に、いつ死んでもいいや」と投げやりに思っていた時期もあったけど
もう、それはやめだ。

 

人生は、本質的にはひまつぶしの旅なのだろうけど
受け継ぐものがあるのならば、そんな独りよがりではダメだ。

 

母親の人生の、ひとつの”結果”として存在している自分には
幸せになる義務が課せられたように感じていて
できる限りで、周囲の方へ得た幸せをおすそわけしていくように
社会的な義務も課せられているように感じる。

 

今後、もし自分をぞんざいに扱うことがあれば
それは義務の放棄であり、母親の人生を冒涜する背徳行為でしかない。

 

だから、自分に残された時間は、一切ムダなことには使わない。
ムダなことには使いたくない。絶対に使えない。

 

自分という存在そのものの価値を観測し続けながら
生活の場へ、社会へ活かす形で還元していく。

 

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自分なりの、疑問疑答への筋の通し方は
これしか思い浮かばないからこそ
まずは全力で”幸せになるリスクを負う”と決め、過ごしてみようと思う。

『これだけお人好しだった人間の終わりが、この程度でいいはずがない』  

【世の中で最も大事なこと。それは○○だ。】

 

人情、経済、安定、感動…

大切にしたいことは山ほどあるこの世で
何を最優先に据えるべきか。

 

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自分はいままで大事だと実感していたのは
"損をしない認知能力"だった。

 

特に
『このままの流れで行くと、いったい誰が得な状態になるのか?』という構造を
しっかり"見極める眼"を備えることは

現実的に最も応用が効く重要なことだと
肚の底から思っていた。("眼"=認知能力)

 

その眼を持てば
あまたの人の利害が絡み合う中で、害の巻沿いをイチ早く回避する意思決定がしやすくなる。


加えて、他に被害者を減らすための警報を発することもできる"守りの盾"として使える。

未来をサキヨミしている、という点に於いては
チャンスも読みやすくなり、"攻めの矛"としても使える。(のと、周辺環境がそれを読めずに損をしたことで自動的に"差益"が発生することもある。)

 

そんな野望じみたことにエネルギーは沸かないので、ほぼ守ってるだけだけれど
結果として、その害が訪れたときにダメージを可能な限り減らせるチカラであるという点で

【世の中で最も大事なこと。それは"損をしない認知能力"だ。】と思っていた。

肚の底から。

 

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自分の母親は、"積極的に損をしにいく選択"をする人だった。

 

例え体が壊れるとわかっていても
『落ち着かない』という理由で、毎日家事をこなし、働きに出て

 

例え戻ってこないとわかっている金の無心も
『ほっとけない』という理由で、ウン十万単位の金を幾人にも渡していた。

 

その分、自身をどこかで甘やかすのかと思いきや、遊びにも出ず
余った時間を、家を常に完璧な清潔状態にすることに注ぎ

家計も、家計を維持しながら倹約し続けて
服も、新しいものやブランドは買わず、逆お下がりや古いものを着れなくなるまで着ていた。

 

浮いたお金で交換するものは
せいぜい半額になったデザートや
素泊り格安旅行の軍資金にあてる程度。


人生…いや
文字通り"命を削りながら"稼いだ金を9割は

徹底して、自身を豊かにできることより
他者や周辺環境にそのリソースを注ぎ混んで

尽して、尽して、尽くし切って

"積極的に損をしにいく"母親だった。

 

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そんな母親をみていて
正直、バカなんじゃないかと思っていた。

 

なんでそこまで徹底するのか。
利他も大概にしないと、肉体は壊れるし
精神もやられるぞ、と。
何もかも遅いとわかってからじゃ、何もかも遅いんだぞと。

 

それでもかわらず、積極的に損をしにいくことを繰り返す母親。

 

本物のバカなんじゃないかと思うほど
あまりにお人好しすぎるから
『ヴィーナス』と呼んでいた。(主に皮肉を込めて)

 

そんな母親が、半年前から

病気の治療で

病院に入りっぱなしで

加療も功を奏することなく

肉体の限界を先に迎えて

早くに亡くなった。

自分の懸念通りに…。

 

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それからもう、半月が経った。

 

自分の内側には、今だに多くの言葉と感情が
ぐわんぐわんと廻って、未消化のままだ。

 

『あーあ、やっぱこうなるよな』

『まだできることあったかな』

『でも、やれることはやった気はする』

『それでもまだできることはあったんだろうな。それをやれてたら…』※以下ループ∞

 

確かに、療養中はやれることはやった。
けどやりきった感より、まだやれた感の方が大きい。


もし○○だったら…系の遣る瀬無さは
どこまでも遺るものなのだろう。

 

『そういやカネ持っていったヤツら、通夜にすら来なかったな』

『あんだけ尽して、終わりがこれかよ』

『ほんと生々しい人間のクズっぷりだな』

 

母親が面倒みたヤツらは、蒸発したやつも多い。
現実的には、蒸発してるのだから
通夜葬儀を聞きつけようも伝えようもなかったのはわかっている。

わかっているのだけど

 

 

『これだけお人好しだった人間の終わりが、この程度でいいはずがない』

 

という、マグマ溜まりのような感情が存在する。

 

 

ヤツらが来なかったことに対しては
個人的に、本当に度し難く
非常に、義憤が収まらない部分である。

 

なぜ、こんなにも収まらないのか。

…少し考えて、はっとした。

『結局、俺もヤツらと同じ…なんだな。』

 

母親は、人生の大部分を"自ら進んで与えた"ように思ってるだろうが
子供というだけで面倒みてもらい、言い表せないほどのものごとを与えてきてもらった事実がある。

親と子としてではなく、一人の人間として観ると
母親のお人好しを、俺は限りなく利用してきた事実があるのである。

母親のリソースを奪い去るだけ奪い去って
大したことを返していない存在、という意味では
自分も結局、ヤツらとレベルは同じ…

 

 

それがわかった瞬間
マグマ溜まりの義憤は、義憤ではなく
自分自身に向けた憤りなのだと知る。

 

この後に及んで、他責でカモフラージュしていたことに気付き
憤りは、なんともいえない罪悪感と情けなさと共にしぼんだ。

 

『ドラマみたいにはならないんだな、現実は』

『お人好しの人生の終わりって、こんなもんなのかよ』

『俺の勝手な押し付けだけど…こんなもんで終わって欲しくはなかったなぁ…』

『まだ親孝行十分にできた感のスタートラインだったのにな』

『もうなんか…色々と不完全燃焼だわ』

 

着地点はまだ見つからないのに
慣れてきた感覚と共に、アタマの引き出しの見えない所へ

いままでコンセプトだったものが、しまいこまれてゆく。

 

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ずっと言語化ができず

グルグルと頭をまわるだけだったものが

いま、ぼんやりとは輪郭が浮かぶようになり

こうして、綴れるようになっている。

 

『ここから、俺は何を学べばいいのだろう。』

 

という問いと同時に

【世の中で最も大事なこと。それは"損をしない認知能力"だ。】と思うものの
"肚の底から"は、そう思えなくなりかけている。

 

なぜなら
損をしなかろうが、何か得てようが
死んじまったら、どうでもいいことだ。

 

個人の範囲程度の話。

 

それが、ほんとに一番大事と

言い続けられるものなのだろうか。

 

自分は死んでも、世界はまわり続けていく…

当たり前だけど、その先にあるものこそ

大事なのではないか、と思い直しているところ。

 

新たな"肚から思う"ものに

俺は出会えるだろうか。

目的の亡骸の味。

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母親の病室に、実父からの差し入れが。
『牛タンのビーフシチュー』を作ってくれたらしい。

 

トロットロのタマネギがソースに見え隠れ。
大ぶりカットのニンジンとジャガイモも溶けそうなほど煮込んだ感じがする割には、ソースに牛の苦味は出てない。

 

そしてメインの牛タン。
おぉ…箸で切れるほど柔らかいぞ。
下ごしらえが良かったのか、イイ肉にしたのか
臭みもなくて、フツーにうまいぞw

 

およそ15年ぶりの味。

 

いまは調理の前線から離れてるらしいけど
レストラン店長としてメニュー開発もやってた歴史は、しっかり感じられる味だった。

 

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何もかも順調だったら、なんて考えても仕方ないことなんだけども
ほんとは、我が家は今ごろ
家族経営のレストランをやってるはずだった。

 

高校受験も、それを前提にした人生設計をしていて
成績的にはボチボチだったので、中部では二番目と言われてた進学校に行くのを辞めて
商業全般をまんべんなく学べる科のある、『静岡商業高校』に入り、目的を持って学んでいた。

 

しかし、その目的は高校在学中に行き場を失うことになる。

 

実父が"レストランをやる"という夢を、一番わかっていた人物からの裏切りに遭い

その余波で、家計も家族関係も親族関係も荒れに荒れて
夢が逆に、家族を分裂させるトリガーとなってしまったのだった。

 

それから15年。


"目的の亡骸"とも言える、このビーフシチューを食べて、ふと気付いた。

 

実は、自分の人生設計の時計は
そのときのまま、止まっていたということに。

 

やりたいことは山ほどあるのに、ぼちぼち取り組んでもきた割に、なんの成果物もなく

今もどう生きるのかにしっくり来ないまま30歳を迎えてしまったのは
潜在的にもう叶わない他人の夢に乗っかってるまま、【夢の亡骸を放さない自分】が
まだここに居るからなのかもしれない、ということに。

 

そんな状態じゃ、新しいことに取り組んだとこで、しっくり来るわけないよな。


自分の人生、いつまで経っても始まんないよな。

 

いい加減、未来の為に手放そう。

 

どこの誰かまったく知らんけど
その裏切り者に、会いに行こうと思う。


向こう側の事実を聞いて、すべて明るみにしようと思う。

 

納得できるかもしれないし、いかないかもしれない

それでも事実を知ることは、しこりのようなものが取れて清々しいものになると思う。

 

実父を見つけたときのように強く念じることができたのなら、絶対に見つかる。

 

人生は攻略不可な負荷はかけてこないように出来てると思う。(出来ないのは逃げたくなる)
本当になんとかしたいことなら、やりゃあなんとかなる。
そういう風にできている、と思っているw

 

さぁ、実験開始だ。

母親が余命一か月となりまして。

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10月に大腿骨を複雑骨折し
12月に悪性リンパ腫が判明し
02月に回腸に穴が空き開腹手術をした

"2か月ジンクス"のある母親の記録用日記。

 

 

前々回

reo-lab.hatenablog.com

 

前回

reo-lab.hatenablog.com

の続き。

 

 

【入院日記】

 

<2/17 入院10日目&手術後4日目>
・個室に移動。面会時のプライベート感が増す。セレブ感w
・看護も厚待遇。看護師さん達がめちゃくちゃ逞しくて意識も高い。さすが救命救急。
抗生物質を常に入れてる分、痛みについては特に訴えることはなくなってきた。
・クーラー効かず、室内30℃。本人も見舞いの方もキツイ。

 

<2/18 手術後4日目>
・特に変化はなし。抗ガン剤&手術ともに回復順調か?

 

<2/19 手術後5日目>
・お見舞い休憩。久々に居酒屋で語らう。

 

<2/20 手術後6日目>
・尿の色が少し茶色く濃くなっている。看護師さんに伝えるも、リアクションはイマイチ。(*後々になってわかるフラグだった)
★後から知ったが、この時点で白血球の値は抗ガン剤の影響から回復していた

 

<2/21 手術後7日目>
・日本で参考になる前例が3例しかない症状の為、「難病指定」が取れるか保健所に打診にいくも撃沈。あくまでリスト化されてるものにしか適用されないとの事。
(※毎月の支払いが限度額認定をしていて最低で6万弱。+食費や衣服、おむつ等は使った分だけかかる、ボディブローのように効いてくる仕様。月アベレージ12万で試算すると、長期的には経済的に持たない。具体的な策を練らないと…)
・白血球の値が、一時は無菌室に入るレベルまで下がっていたが、再度高いレベルまで上昇。結局、腫瘍は小さくならずに在り続けている模様。

 

<2/22 手術後8日目>
・やはり尿の色が気になる。更に茶色くなる。
(※見舞いの最中、自分に悪寒と吐き気が襲う。30分冷や汗流しながら休憩してプチ回復。気だるいので寝る。)

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<2/23 手術後9日目>
(※自分が高熱、関節の痛み、鼻水、腹痛とフルコース。完全にダウン。)

 

<2/24 手術後10日目>
(※同上)

 

<2/25 手術後11日目>
・救命救急病棟から、外科病棟へ移動。一気に狭くチープになるw
・少し顔色が変化していることに違和感*
・尿がコールタールのような色に*

 

<2/26 手術後12日目>
・黄疸が出ている、と判断され内視鏡の検査が入る

 

<2/27 手術後13日目>
・午前中に病院から呼び出しがかかる
・浸潤した腫瘍の拡大により、胆菅が圧迫されて詰まって、血中のビリルビン値が尋常ではない値に上昇していた。
★胆管へ拡張用の管が通らず処置不可能。【閉塞性黄疸】と診断。
★放置すると多臓器不全となる。余命1か月と宣告される。
・「要は血中に毒素が回ることが命にかかわるなら、透析等は行うことにより延命措置ははかれないのか」と質問したところ「根治に向かわない治療は行わない」とのこと。
・腫瘍が縮小することで胆菅が解放されることを願い、再び抗がん剤治療開始のお知らせ。本人の意思のもと、開始することに。

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<2/28 手術後14日目>
・一日ゆとりを持ち、外出の許可を得る
内視鏡時の刺激で、少しだけ胆菅の通りが良くなった模様

 

<3/1 手術後15日目>
・福祉用のレンタカーを借り、半日かけて、洞慶院~さった峠~日本平ホテル~自宅とまわる
・看護師さん達の入念な事前準備もあり、テクニカルな問題は無く過ごせた
・座りっぱなしによるむくみ、車の振動による位置ズレ~腰背中の痛み、単純な移動疲れは流石にあるものの、特に不調は起こらず。安定したまま終了。

 

洞慶院梅園にて。3割ほど咲いてました。

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さった峠にて。晴れてキレイな富士山がお目見え。

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日本平ホテルにて。超強風w

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・明日より"HyperCVAD"という抗癌剤治療スタート

 

<3/2 HyperCVAD1日目>
・血液検査の結果をみる。
ー 相変わらず赤血球の値が平均以下の、貧血気味(元々のもの)
ー 相変わらず白血球は異常な高い値(T細胞リンパ腫によるもの)
アルブミンも相変わらず低い数値(同上、血中タンパク質異常低下~むくみ発症)
ビリルビン、γーGDPも異常に高い数値(閉塞性黄疸によるもの、顔色は安定)

・本人の意識は鮮明、受け答えも動きも今日は鮮明
・複雑骨折時のリハビリも再開

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<3/3 HyperCVAD2日目>
・意識鮮明、数値平行線

 

<3/4 HyperCVAD3日目>
・同上

 

<3/5 HyperCVAD4日目>
・急な買い出し等の為、見舞い休憩。

 

<3/6 HyperCVAD5日目>
・母親の代理で確定申告へ。90人待ちの大行列に並ぶ。
・無事申告終了。割と時間かかった為、見舞いは延期。
・父方の祖母が見舞いに来た模様。認知症気味で会話不可→出禁になった模様w
・輸血が行われた模様

 

<3/7 HyperCVAD6日目>
・意識鮮明、数値平行線。前回のESHAP時と比べると、表面的にはまったく問題がなさそうに思えるほど。(しかし血液検査の数値は異常を示し続けている…)

・明日、回腸穿孔手術部分の抜糸予定

 

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余命7.5ヶ月、と宣告されてから
わずか1ヶ月で、余命1ヶ月に。

 

元々、癌自体では急性でポックリ亡くなるもんじゃなく
腫瘍の拡大や、治療過程の副作用が他の多臓器に影響することで
"予測不可能な体調"になることだけはわかっていたけど
まさか、ピンポイントに処置不能な状況に展開するとは…

 

『胆菅が詰まり続けていると30日の命』という危機感が一気に押し寄せる。
それ故、早めに外出はしておいた方がイイと判断して、2度目の抗癌剤サイクルが始まる前に、優先して外出の時間をとった。

 

こんな状態でも、本人は案外のほほんとしている。

元々、自分に都合の悪い話になるとスルーしたり、論点をすり替えようとするクセがある(だんまり、話をそらす、ヘラヘラする、こちらの不手際を責める…等w)ので
わかっているけど、"わからないフリをしていたい"のだろう。

 

『最後になるかもしれない外出』の内容も
ずいぶんと日常的なリクエストで拍子抜けしたのだけど
それも"わからないフリをしていたい"ことのあらわれなのだろうな、と思う。

 

そりゃそうだよな。
急に一ヶ月なんて言われても、現実味ないよな。
他人事のように聞こえるだろうな。

そりゃわかるよ。わかるけどさ…
命かかってるのに、まだ気付けないのかい、と思ってしまう。

 

俺が手を変え品を変え、さんざん指摘してきた

「そもそも"考え方"を変えなきゃ、状況は良くなれないよ」

って意味が。

 

ーーーーーーーーーー

 

【考え方。】

 

正直、今回の原因となったのも、"考え方のクセ"が根幹にあると思っている。

 

わかってるのにわからないフリをして、自分を犠牲にしながら放置してきたことが多すぎるからだ。

 

愚痴を聞いて共感タイムをとったところで、一時的には解消して満足しても
結局また同じことを愚痴る日常をループする状態にハマっていて
根底から、現状を望んでるとは思えなかった。
(そして、同じ愚痴聞いてる方にも限界がくるんだよ…w)

 

そんなに嫌なら と、QOLにつながるアドバイスや、自分の実践ついでのおすそわけはしてたのだけど、てんで聞き入れない。

たとえば
体調が悪い悪いと言うなら、不健康にならないような仕組みを作ればいい。
だから、なるべくカラダに余分なものを入れない選択をしたり、食事時間のリズムを管理したり、食べる順番を配慮する等を実際にして伝えるものの
『あんたの自己満足としか思えない』と言う解釈をして、シャットアウトする。

 

経済性を優先してとにかく安いものを選ぶが故に、使い勝手がイマイチな粗悪品にあたり、文句を言い続けながら使っているくらいなら
安物買いを繰り返すコストを試算して、同等のコストの高品質で納得いくものを買って、心地よいものを長く使えばいい。
それも、コストが変わらないこと、今より良いものがあると提案した時点で
『だって貧乏だから』『そんな贅沢できない』『調べたってわかんない』『高い買い物して失敗したらどうするの』と言う解釈をして、シャットアウトする。

 

ほかにも、まわりの人の〇〇が~、とか 職場の~とか

もちろん自分ら子に対しても~…と、キリがないw

 

愚痴ってることを本気で改善したいなら、事実を直視して淡々と向き合い続けていく必要がある。

 

いまより1ミリでも、より善くなるために
ひとつひとつの意思決定の質をあげ続けるだけだから

 

実際は、可能なのに。
方法も提示してるのに。
それでも、選ばないのだ。

 

『根底から、愚痴ばかりの現状を望んでるとは思えなかった』ので

しばらくは謎で仕方がなかったのだけど
もしも"悲劇のヒロインで居続けたい"のなら、話は別だ。

 

『あぁ、この人は自分が犠牲になって文句を言うポジションの居心地がいいんだな』

『自分は抑圧される中で努力してるかわいそうな存在で居続ける必要があるんだな』

『そうすれば、かわいそうな自分として文句を言い続けるって報酬を得続けられて、心地良いもんな』

『俺のたくさんのアドバイスは、その心地よさを奪う"敵"なんだな』

ということになり、話をシャットアウトする正当な理屈が成り立つ。

 

要は

【現実改善の報酬<<<(越えられない壁)<<<悲劇のヒロイン状態の快楽報酬】

 

という考え方を採用したことで得てるものに依存することによって
現実がどんどん悪化している。

 

今回は、その考え方をする精神に、肉体がもうついていけなくなったのが
根本的な部分にはあるな、と自分は分析している。

 

ーーーーーーーーーー

 

【肉体∞精神。現実、人生。】

 

肉体は、複雑だ。
食べたものから、脳や臓器や筋肉もつくられていて

運動エネルギーが取り出され、それらに指令も渡らせていて
感情や気分や性徴は、ホルモンのバランスで左右されて
それらを仲介する物質の量にも、個体差があって
さらに体細胞の5倍近い、300兆もの微生物が体内外に共存しながら、肉体の状態に大いに関与しているという
さながら"小さな宇宙"のようなものだ。

 

複雑だけども、結局は"物質"である。
では、その物質を物質たらしめてるものは何か。

 

精神だ。こころだ。

"こころ"は形がない。時間の概念もない。
でも"在る"のは確か。
この"在る"と認識することができるのが、精神の特権。

 

精神を欠くと、物質は認識されない。
精神が物質を認識しない限りは
物質は物質として"在る"ことができない。

 

この関係性から言えることは
【物質とは精神が結晶化したものである】ということだ。

 

相互に関与するために

永遠なる精神が物質に影響を与えるには"考える"必要がある。
有限なる物質が精神に影響を与えるには"感じる"必要がある。

 

有限な小さな宇宙である肉体に、永遠の精神が収まっている理由は
相互に補い合い与え合う関係性を成り立たせることによって
精神が永遠であるが故に毒となる『退屈(不変)』を解消する為ではないか、と仮定している。

物質を介して多様性を持つ感覚を記憶として結晶化し、継承することで

さらなる多様性を生み、『退屈(不変)』をより少なくするものが目的なのでは、と考えてみている。

 

…なんだか話がマニアックになってきてしまったw

 

一気に凝縮してしまうと

能動的に考えるということは
もっとも根本的な部分で、肉体を持って生きる意味につながる行為にあたる、大事なことであり
精神が望むがままに物質=現実を変える、唯一の方法であり

もっとも手っ取り早い手段である、ということ。

 

逆に、受動的に考えるとは、動かされて考えている、という時点で
物質=現実は根本的には望み通りに変わっていかないですよ、ということ。
自分ではない、他の誰かの現実を生きることで精神の望みを補っているものの
それは、あなたの肉体に宿った精神ではなく、誰か他の個体に宿った精神にとって都合のいい人生を送ることになりますよ、ということ。

 

目に見えない部分ではあるけれど
"自分で考える行為"には、人生レベルでみると

肉体的にも精神的にも、ものすごく重要で重大な意味が込められている、と考えている。

 

それこそ、癌すら精神から物質化されてできている可能性がある。

(と同じように、逆になくなることもあるだろう。)

 

西洋的な医療での限界がはもう告げられてる以上

他人の手で分子レベルでなんとかすることはもう不可能だ。

 

どうか、今からでも遅くないから
母親が、自分の精神が望む現実に目を向けてくれること
それと共に、肉体的な回復基調へと向かうことを願う。