Inspire note

じぶん創りの備忘録。

『これだけお人好しだった人間の終わりが、この程度でいいはずがない』  

【世の中で最も大事なこと。それは○○だ。】

 

人情、経済、安定、感動…

大切にしたいことは山ほどあるこの世で
何を最優先に据えるべきか。

 

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自分はいままで大事だと実感していたのは
"損をしない認知能力"だった。

 

特に
『このままの流れで行くと、いったい誰が得な状態になるのか?』という構造を
しっかり"見極める眼"を備えることは

現実的に最も応用が効く重要なことだと
肚の底から思っていた。("眼"=認知能力)

 

その眼を持てば
あまたの人の利害が絡み合う中で、害の巻沿いをイチ早く回避する意思決定がしやすくなる。


加えて、他に被害者を減らすための警報を発することもできる"守りの盾"として使える。

未来をサキヨミしている、という点に於いては
チャンスも読みやすくなり、"攻めの矛"としても使える。(のと、周辺環境がそれを読めずに損をしたことで自動的に"差益"が発生することもある。)

 

そんな野望じみたことにエネルギーは沸かないので、ほぼ守ってるだけだけれど
結果として、その害が訪れたときにダメージを可能な限り減らせるチカラであるという点で

【世の中で最も大事なこと。それは"損をしない認知能力"だ。】と思っていた。

肚の底から。

 

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自分の母親は、"積極的に損をしにいく選択"をする人だった。

 

例え体が壊れるとわかっていても
『落ち着かない』という理由で、毎日家事をこなし、働きに出て

 

例え戻ってこないとわかっている金の無心も
『ほっとけない』という理由で、ウン十万単位の金を幾人にも渡していた。

 

その分、自身をどこかで甘やかすのかと思いきや、遊びにも出ず
余った時間を、家を常に完璧な清潔状態にすることに注ぎ

家計も、家計を維持しながら倹約し続けて
服も、新しいものやブランドは買わず、逆お下がりや古いものを着れなくなるまで着ていた。

 

浮いたお金で交換するものは
せいぜい半額になったデザートや
素泊り格安旅行の軍資金にあてる程度。


人生…いや
文字通り"命を削りながら"稼いだ金を9割は

徹底して、自身を豊かにできることより
他者や周辺環境にそのリソースを注ぎ混んで

尽して、尽して、尽くし切って

"積極的に損をしにいく"母親だった。

 

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そんな母親をみていて
正直、バカなんじゃないかと思っていた。

 

なんでそこまで徹底するのか。
利他も大概にしないと、肉体は壊れるし
精神もやられるぞ、と。
何もかも遅いとわかってからじゃ、何もかも遅いんだぞと。

 

それでもかわらず、積極的に損をしにいくことを繰り返す母親。

 

本物のバカなんじゃないかと思うほど
あまりにお人好しすぎるから
『ヴィーナス』と呼んでいた。(主に皮肉を込めて)

 

そんな母親が、半年前から

病気の治療で

病院に入りっぱなしで

加療も功を奏することなく

肉体の限界を先に迎えて

早くに亡くなった。

自分の懸念通りに…。

 

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それからもう、半月が経った。

 

自分の内側には、今だに多くの言葉と感情が
ぐわんぐわんと廻って、未消化のままだ。

 

『あーあ、やっぱこうなるよな』

『まだできることあったかな』

『でも、やれることはやった気はする』

『それでもまだできることはあったんだろうな。それをやれてたら…』※以下ループ∞

 

確かに、療養中はやれることはやった。
けどやりきった感より、まだやれた感の方が大きい。


もし○○だったら…系の遣る瀬無さは
どこまでも遺るものなのだろう。

 

『そういやカネ持っていったヤツら、通夜にすら来なかったな』

『あんだけ尽して、終わりがこれかよ』

『ほんと生々しい人間のクズっぷりだな』

 

母親が面倒みたヤツらは、蒸発したやつも多い。
現実的には、蒸発してるのだから
通夜葬儀を聞きつけようも伝えようもなかったのはわかっている。

わかっているのだけど

 

 

『これだけお人好しだった人間の終わりが、この程度でいいはずがない』

 

という、マグマ溜まりのような感情が存在する。

 

 

ヤツらが来なかったことに対しては
個人的に、本当に度し難く
非常に、義憤が収まらない部分である。

 

なぜ、こんなにも収まらないのか。

…少し考えて、はっとした。

『結局、俺もヤツらと同じ…なんだな。』

 

母親は、人生の大部分を"自ら進んで与えた"ように思ってるだろうが
子供というだけで面倒みてもらい、言い表せないほどのものごとを与えてきてもらった事実がある。

親と子としてではなく、一人の人間として観ると
母親のお人好しを、俺は限りなく利用してきた事実があるのである。

母親のリソースを奪い去るだけ奪い去って
大したことを返していない存在、という意味では
自分も結局、ヤツらとレベルは同じ…

 

 

それがわかった瞬間
マグマ溜まりの義憤は、義憤ではなく
自分自身に向けた憤りなのだと知る。

 

この後に及んで、他責でカモフラージュしていたことに気付き
憤りは、なんともいえない罪悪感と情けなさと共にしぼんだ。

 

『ドラマみたいにはならないんだな、現実は』

『お人好しの人生の終わりって、こんなもんなのかよ』

『俺の勝手な押し付けだけど…こんなもんで終わって欲しくはなかったなぁ…』

『まだ親孝行十分にできた感のスタートラインだったのにな』

『もうなんか…色々と不完全燃焼だわ』

 

着地点はまだ見つからないのに
慣れてきた感覚と共に、アタマの引き出しの見えない所へ

いままでコンセプトだったものが、しまいこまれてゆく。

 

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ずっと言語化ができず

グルグルと頭をまわるだけだったものが

いま、ぼんやりとは輪郭が浮かぶようになり

こうして、綴れるようになっている。

 

『ここから、俺は何を学べばいいのだろう。』

 

という問いと同時に

【世の中で最も大事なこと。それは"損をしない認知能力"だ。】と思うものの
"肚の底から"は、そう思えなくなりかけている。

 

なぜなら
損をしなかろうが、何か得てようが
死んじまったら、どうでもいいことだ。

 

個人の範囲程度の話。

 

それが、ほんとに一番大事と

言い続けられるものなのだろうか。

 

自分は死んでも、世界はまわり続けていく…

当たり前だけど、その先にあるものこそ

大事なのではないか、と思い直しているところ。

 

新たな"肚から思う"ものに

俺は出会えるだろうか。