Inspire note

じぶん創りの備忘録。

『善意の行為』らしきこと、をやったときに考えたことメモ。


今日は

健診と、市議会のチェックと

ホワイトデーの買い出しのため

しぞーかの街中へ。


胸部X線を受ける。

体内に、活性酸素が大量発生し

5分もすれば全身に巡りはじめ

じわじわと、気分が悪くなってくる。

倒れるほどではないが

なんとなくだるいカラダを引きずり

強風の街中を歩く。


人も車もよく通る裏道で

飲食店のメニュー黒板が倒れていた。

手前でハザードをたいてる車の人も

すれ違う多くの人も

その誰しもが

”わかっているけれど”

その光景を傍観している。

『ただ立て直すだけなのになぁ』

そう思いつつも

一瞬、素通りしそうになった。

(「傍観者側の引力に引っ張られてる!」)

バツの悪い感じがして

立ち止まり

メニュー黒板を直しておいた。

俺は

『すこしいい気分』

に、なることができた。


まだ、強風は吹いている。

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この行為は

おそらく『善意の行為』にあたるのだろう。

しかし、この『善意の行為』らしきものに

妙な違和感が残った。

なんだろう。考えてみる。


①強風が吹き続けているのだから。

黒板は、また倒れる可能性が高い。

立て直した行為は

わずか1分後に

”無意味”となる可能性がある。

店主としても、お客さんとしても

黒板が倒れていることで

PR効果がなくなっていることに

変化はない。

このパターンの【成果】は

『無意味だった行為に対して
自己満足を感じている自分の盲目さ』

のみとなる。

 

②仮に黒板が倒れなかったとしたら。

『善意の行為』は、俺の目論み通り

【成果】としてあらわれることになる。

しかし、それと同時に

【店主が強風対策を練る機会】を

一度、逃す行為にもなっている。

倒れていることに気付いていれば

店主は

”もう倒れない対策”を練り

より継続的なPR効果を発揮する

発見ができたかもしれない。

そちらのほうが

通りすがりの誰かが直すより

PR効果を持続させるには

確実な対策だ。

そうと気付くのを

遅らせてしまった可能性も

否定はできない。

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そんな考えを巡らせていたら

俺が反射的にやったことは

『善意の行為(?)』

であることがわかる。

 

シュレーディンガーの猫だ。

その行く末は

【”観測”されてはじめて

"事実"として定まる】ものだ。

だけれども

『善意の行為(?)』は

無条件に、それだけで

まるで

”既に善い結果を及ぼした”かのように

扱われる性質を持つ。

 

その証拠に、俺は

いつのまにか

『少しイイ気分』

に、なっている。

事実がまだ定まっていないのに

あたかも

成果が出たかのように扱ってしまう

強い、強いバイアスがかかっている。

本当は違うかもしれないのに

勝手に決めつけてしまうのは

あまり、望ましい状態とはいえない。

 

『善意の行為』については

自分がやりたがることだけでなく

世にあまたに存在することにも

『(?)』がつくことを

前提に置いておきたい。

脊髄反射

”善い成果が出た”と扱うことなく

『本当に、そうなのだろうか?』

という問いを

念のため、はさんでおきたい。

 

なにが、どのように

”観測”されて

”事実”となり

”記憶”として

”蓄積”されるのか。

ものごとは

多面的なものであることを忘れず

あたりまえの

バイアスに引っ張られることなく

ていねいに、見定めていこう。

なんてことを

倒れた黒板が

気付かせてくれたのでした。

 

アテにならない やりたいこと。(の先にある、アテになる やりたいこと)

望んで取り組み始めた"自らやりたいこと"が
一年経つころには、心身の重荷になって
いつの間にか"今すぐやめたいこと"になっていたりする。

 

なんの気もなく"自然にやっていたこと"が
一年経つころには、人の役に立つと感じて
いつの間にか"力を入れたいこと"になっていたりする。

 

自分の【やりたいこと】なんて、まったくアテにならない。


初期衝動は、ただの初期衝動だと理解すること。

 

当初の目的を見失ったら、その時点で"暗黙の目的"が無意識下に生まれ

当初の目的を意識していても、無意識の暗黙の目的に進み始めていると早めに気付くこと。

(この時点でやりたいことのブレーキとアクセルを同時に踏んでいる、と自覚すること。)

 

やりたいことをやった、から起こってしまった
自分の変化、"感情の事実"をまとめ
まわりの変化、"現象の事実"を直視し

なるべく頻繁に振り返り、効果を検証すること。

 

この時点で、やめるならやめること。

続けるなら、より望ましくなるような続け方を設定し直すこと。

 

ただの理想的な目的を、現実的な目的へと設定し直し
新たな仮説のもと、よりよくすること。

 

望ましいほうに仮説を検証し続けていくサイクルをまわすこと。 

同時に、望ましくない結果に向かうサイクルも情報集積してゆくこと。

 

これら一連の流れが、自分にとって『楽しめる瞬間の連続』であるときだけが
【やりたいこと】として、残り続けるのだと悟ること。

 

 

今日も今日とて、自己観察。

問いなおし。

支援、サポートって文字を見かけるたびに

『そうだそうだ!』とは思うんだけど

 

『そうだそうだ!』って野次ってる時間を、個人的に日常範囲で動くことに充てて
"こうなった"って事例を積むことが
一番のサポートになると、自分でわかってるはずだ。

 

【その"サポートしたい"は、本当か?】

 

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人でも動物でも、あまりにも酷い事例を目にすると
『救いたい!なんとかしたい!』って、切なく歯がゆく感じるけど

 

『救いたい!なんとかしたい!』って感傷に浸ってる時間なんてないままに
"体が勝手に動いてる"ときは、自分にあったろうか?

 

【その"救いたい"は、本当か?】

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サポートする側のイシューって、どれも似通ってるのに解決してる感じ薄いなぁ、とか
貧困や卑怯な手口で、性の搾取が起きててひでぇなぁとか
"たまたま目に入ってきた"そんな記事をみてたら、自省の気持ちが湧いてきた。

 

自分ができることなんて、ほとんどないのに
『なんとかならないかな』と沸き上がっている、無責任な"なんちゃって同調意識"。

 

我ながら、バカなんじゃないかと。

 

と同時に
自分にできることなんて、たいしてないからこそ
そのできることを、"貴重な資源"として扱わなきゃいけないなと思い直した今日この頃。

 

"本当に、本当"なのか?
それとも
"同情パフォーマンス"なのか?

 

有限で貴重な資源である
【 主体性】を、問う。

振り返り用【2017年 1月】事実リスト

 

【活動日数】
21/31日(*仕事の残業はノーカウント)

 

【能動的アクト】
✔ 拠点用土地 下見×3件@焼津
✔ お賽銭 ¥10,000@ことのまま神社
✔ 「AI×演劇」対談@このみる劇場
✔ フードバンク ボランティア参加
✔ 初ジビエ@ラ・カンティーノ

 

【受動的アクト】
✔ 三鞍の山荘修行(w) 参加
✔ 地域コーディネーター会議 参加
✔ 達成塾 参加
ボードゲーム会 ×2参加@りんでん

 

【2月予定アクト】

✔ 拠点探し アンテナ張り

✔ 未来を語り現在を知るたまり場作り 下旬プレ始動

✔ フードバンクボランティア

✔ ブログ習慣化

 

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去年は、とにかく外に出ていた。
9:30~20:00まで(たまに18:00)のシゴトが終わってから

まっすぐ帰った記憶が、あまりない。


色々手をつけすぎて、何やってたか記憶も曖昧なくらい
文字通り、流れるように1年が過ぎていった。

 

『はて、いったいどのくらい外にいたのだろう?』
と疑問が沸き、一年分の過去予定を数字で振り返ってみた。


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外出する多くは、お誘いがあり、『人と話す』目的でいっていた。
飲みとか相談とか情報交換とか。

他には主催イベントも多かった分、MTGで話す&動くことがあり
あとは少しだけ、学ぶために外に出ていた。

家にいたとしても、登壇するイベント用のプレゼン資料作りで
『時間がねぇぇ~!仕上げなきゃー!』と四苦八苦していたり
積ん読”してある本を消化することに充ててたので
ひとりで"ゆっくりしてる"と感じられる時間は、極端に少なかったかもしれないw


そんな【365日】の

集計結果…


【予定を入れていた日数】 276/364日

【予定を入れていない日数】 89/365日


!?

3/4は外出てましたwww

(逆に『1/4も、まっすぐ家に帰ってたんだ』と言う感じすらするw)


ワタクシ事ながら

『事務員のスケジュールじゃねぇww』と感じるw

 

10年前は、家でゲームやってる方が良かったから
こんな未来になってるとは思いもしなかった。

いやー。なかなか感慨深い。

 

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”なんとなく”って感覚を数値化すると、振り返りやすい。

事実を数字に置き換えて客観視することで
気付けたり、改めて感じることがある。

 

✔ 去年の動いてきた"結果"が、今わかったわけで
去年想定していたような”望ましい状態”に近づいてるのだろうか?

 

✔ そうじゃなかったなら、今年はどう動けばいいのだろうか?

 

といったことを判断し、次の目的に対して動く参考にするための
『数値化』と『効果測定』は大事だなぁ、しっかりやらんとなぁ
と感じたのでした。

 

今年は、拠点を手に入れることを第一義に動きます。まる。


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そして
こんな割合で"やっていられている"のは
現状、実家暮らしであることが大きい。

 

本来の独り暮らしにおける、買い出しと料理、洗濯、掃除をカンペキにこなすとなると
一日に+2時間は欲しい。カネもかかる。エネルギーも消耗する。

 

現状、家事は多少やるだけなので

金銭的・肉体的・精神的な負担も少ない恩恵を受けてる分は

彼女らの"欠け"を補うことで、少しだけ貢献できているかなぁと思う。

(*車の免許がなくてできない『遠出』や
自転車ではちと遠い店への『買い出し』に時間を予めつくって、要望を聞いて応じるようにしている。)

 

もうイイ大人だし、なるべくなら”持ちつ持たれつ”状態にしたいけど
そもそもそれ以前に、成人するまでの18年は
あらゆるコストを払って育てられているので
労力としては、実家側は目に見えない重いものを背負ってきているんだよなぁ。

 

それを『返せた』と感じるには、あと20年は必要だろうなぁ
なんてことも同時に感じたのでした。